家族が遷延性意識障害に⑤
ICUでの治療が始まりました。
とりあえず生きていることに感謝していましたが
父は多くの点滴を受けており、手足はかなりパンパンになっていました。
心電図が乱れており、しばらく止まったりしばらく過剰に動いたり、
本当に心配でした。
それから大変だったのが不眠と仕事です。
父のようにもう朝は迎えられないんじゃないか。
その不安は数年たった今でも同じです。
金縛りにあったときなんかは必ずその状況で夢を見ます。
次に仕事ですが
当然、仕事は通常通り出勤しなければなりません。
私も事情は職場に話しましたがまず自分の仕事が落ち着くまで(数日ですが)
出勤しました。
その後、半日有給を沢山いただいて父の世話と仕事の両立を目指しました。
母も数年前に病気を患い、病弱ですので私がいなければならないと思い
休みは多めにいただけました。
これからどうなるか。
父の容体がどうなるか。
不安のまま仕事との両立に奮闘する毎日でした。
そうこうしていると
医師から気管切開をしますと言われ書類を書きました。
気管切開のテープ?を病院のコンビニで買い、
父親のおむつを大型スーパーに買いに行きました。
ティッシュ等も持って行ったと思います。
無事ICUから普通の病室に移動できるように
家族みんなで願っていました。
⑥へ続く
家族が遷延性意識障害に④
午前中にはICUでの治療が始まりました。
私たちは待合室で待ち、私は奥さんや親戚に連絡を取りました。
奥さんは仕事中でしたが泣いてくれました。良い嫁です笑
お昼ご飯を食べ、待っていたところに
「説明をしますので来てください」
と連絡をいただき、別室で先生の話を聞きました。
父は心筋梗塞でした。
心筋梗塞は冠動脈(心臓にある3つの大きな血管)が閉塞されて起きる疾患です。
虚血によって心臓の機能が失われるということです。
もともと冠動脈の先端が石灰化しており、狭くなった冠動脈に大きな血栓が詰まったことで致死性の不整脈となり心停止に至ったとのことでした。
PCI(経皮的冠動脈形成術)治療でできるところまでは詰まった血管をどうにか解消できたが、これ以上の手術はリスクは大きくできない。とりあえず今は心臓が動いているのでこれ以上の手術は予定していません。
これから低体温療法を実施していきます。
とのことでした。
低体温療法は、体をある一定の目標温度に維持(詳細は診療報酬の通知に記載)することで脳を守る療法です。
心肺が止まっていた時間は、脳に血管が行きません。
酸素も脳にまわらないということです。
酸素がなければ脳はどんどんダメージを受けます。
脳のMRI(CTだったかな?)を撮りますということで、その日は終わりました。
ICUで面会ができる時間は決まっていました。
私たち家族はすべての時間帯で父に声掛けを行いました。
父の友人なども誰から聞いたのかすぐに駆けつけてくれました。
親戚や友人ってありがたいですね。
⑤へつづく
家族が遷延性意識障害に③
大病院に到着。
朝5時くらいなのに患者が何人かいました。
母から「救急車の中で少しだけ心臓が動いたけどまたダメになった」
と言われ、
父が運ばれた病室から救急隊員も役目を終えたように出ていき
あまり処置をする音も聞こえませんでした。
もう覚悟を決めていました。
「お葬式になるならどこに頼む?」
大変な状況だ・・・何か考えないと・・・と思った結果出た言葉でした。
しばらくすると、警察(おそらく刑事課?)が来ました。
「発見された時の状況を教えてください」
そう言われ、私が対応しました。
しばらくすると3人ほど警察の関係者が来ました。
その後、制服の警察官(地域課)が来て再度話を聞かれました。
1時間ほどたち、警察官が帰っていきました。
「もうそろそろ答えが出るんだろうな」
そう考えていると当直医から呼ばれ、部屋に案内されました。
「とりあえず今は薬の力で生きている状態です。ここからICUに入り、治療が進められていく予定です。この書類にサインを。」
輸血などの書類にサインをしてすぐに提出しました。
「生きていて本当によかった。ありがとう」
心の中で感謝しました。安心しました。
その後、一度自宅(実家)に帰ることに。
インターホンの記録には制服の警察官(交番のおまわりさん)やその他警察職員の方の姿がありました。
父は蘇生したので、その後はなにもありませんでしたが
父がほぼ死に近い状態で、「自宅で亡くなった」ということに対して事件性があるかを確認するために警察官が来ていたことが後からわかりました。
朝早くに来ていただいて申し訳ありませんでした。
そして、やさしい口調で事情を聴いていただいてありがとうございました。
今は余裕があるのでそう思えます。
ただ、当時は警察官の姿が怖く、母は今でも警察官の方が怖かったと愚痴をこぼします。
警察官の方も大変ですね笑
本当にいつもお疲れ様です。
④に続く
家族が遷延性意識障害に②
10月の初め、週末だったということもあり私は実家に帰っていました。
実家は両親で生活しており
私の兄弟は、姉が一人と兄が一人。
姉がたまたま長期で帰省していたので、この日は家族4人で食卓を囲むことになりました。
父が最近、「少し胸が痛い、息苦しさがある」と言っており、
かかりつけ医を受診した結果、
明日の朝、大病院に行く予約をしたとのことでした。
私はというと久しぶりに兄弟で楽しく話をして良い気分で眠りにつきました。
明日病院に行くから大丈夫。そう思っていました。
(翌朝)
「お父さん!お父さん!」
母親の声が聞こえました。
いびきが急に止まった父の声を聞いて、母が父を起こそうとしたところ、父が反応しないとのこと。
急いで通報しました。
姉は横で心臓マッサージをしていました。
最初は大丈夫だと思ってました。
しかし、何度呼び掛けても反応しない父をよくみると
呼吸していないことに気づきこれはもうだめだと思いました。
心臓マッサージも慣れておらず、とりあえず遠くから救急車の音が聞こえたので
担架を運ぶときに邪魔なものを片づけたり、玄関を開けて靴などを片づけました。
救急車が到着。すぐに救急隊員が家の中へ。
季節の変わり目でしたが、少し暑かったので窓も開いており
近所の人は何事かと思ったと思います。
救急隊員の方がすぐに心臓の蘇生処置に入ってくれました。
それと同時に応援を要請。すぐに消防車に乗った隊員方が応援に来てくれ
私は点滴の袋を持ちながらみんなでもともと受診する予定だった大病院に運びました。
母は救急車、私と姉は自家用車で病院に向かいました。
朝4時過ぎの出来事です。
③へ
遷延性意識障害とは
皆さんこんにちは!!
生活全般担当の土方(ひじかた)です。
今日は、遷延性意識障害について記事を書いていきます。
遷延性意識障害とは、外傷等により持続的な昏睡状態になることです。
言い方は悪いですが、わかりやすく言うと”植物状態”です。
基本的には寝たきりの状態ですが、(状態によりますが)息は自力でできます。
意識はほぼありませんが、(状態によりますが)声をかけると目を開けたり動くこともあります。
外傷等によるものなので年齢も様々です。
ただ、若い人のほうが意識を取り戻す確率が多いと考えられています。
なぜ、この記事を書いたか
私の父が、心筋梗塞で倒れたことにより遷延性意識障害の診断をされてしまったからです。
②へつづく